南 じき さい。 現実を離れた「生きる意味」を問わないこと―『超越と実存』南直哉

南直哉『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』試し読み | 南直哉 『超越と実存 「無常」をめぐる仏教史』 | 南直哉 | 本の試し読み | 考える人 | 新潮社

じき さい 南

☘ いや、さっき言ったように、誰にでも感染の可能性があると言うなら、もう既に当事者でしょう。 その結果、一財産作って仕事は辞めてしまいました。

修行一筋で生涯を貫き、その高潔な人格で多くの若い修行僧に敬愛されている禅僧だと聞かされていたが、本当にそうだった。 さて!! 「暮らしのおへそ vol25」早々と重版決定です〜〜〜!! 嬉しいなあ〜! 手に取っていただいた一人一人の皆さまに本当に感謝いたします。

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じき さい 南

😁 親父は小学校の教頭で、中学校には母親の元上司がいました。 道元禅師の弁道話で、 「法の深浅」でなく 「修行の真偽」だけを問え、という話がある。

決して切り離されない。 しかし「コップ」の本質といったものは存在しない。

坊主も知らない仏教の落とし穴【1】 -対談:南 直哉×島田裕巳

じき さい 南

💕 私たちは、普段「生」や「死」について、 ほとんど考えることなく生きているのではないでしょうか? 肉親や近しい人の死を間近にみたとき、うろたえ、悲しみ、 初めて「死ってなんだろう?」 「生きるってどういうことだろう?」と考える……。 出家した後、いろいろな人から言われた。 食べ物飲み物もそうだ。

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『人は死ぬから生きられる』 との共著、新潮新書、2009年4月• photo:枦木功• その根本には 「実体」の否定、そして「解決」「真理」「答え」の否定がある。

南じきさい恐山曹洞宗, 南直哉 (禅僧)

じき さい 南

😝 私は、南さんにお会いし、南さんが書かれたものを読むにつれ、どうしていいかわからなくなりました。

つまり言語以前のナマの現実のところには、「コップ」としての使用だけがあるのであって、「コップ」なんてものは存在していない。

「死ぬとはどういうことですか?」田原総一朗が南直哉さんに尋ねた(田原 総一朗)

じき さい 南

😇 『やさしい「禅」入門』 との共著、新潮社、2004年11月• この状態で怒りを持続できる人はまずいません。 それが私の結論だったのである。

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はぁ、ちょっとは色々書こうと意気込んでいたのですが驚かされました。

南直哉 (禅僧)

じき さい 南

🖐 「自分になりたくてなった人なんてどこにもいません。 それは直接のテーマではないからだ。

いずれにしろ、この理屈と実践はペアで、どちらを欠いても、まともな修行にも教育にもならない。

「死ぬとはどういうことですか?」田原総一朗が南直哉さんに尋ねた(田原 総一朗)

じき さい 南

👇 なぜなら人はそもそも初めから しょうがなく生きているからである。

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坊さんになったほうがいい』と言ってくれた人もいました。 「悟り」はなく「修行」という行為だけがある。

南直哉 (禅僧)

じき さい 南

🤚 私は後者を選んだ。 これには驚きました。 釈尊や道元禅師の言動が「真理」かどうかではなく、敢えて言えば、使えるかどうか、だったのである。

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その点、「和尚さん」はOKだ。 昨年お父様を亡くされた愛ちゃん。